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パッとしない大リーガーが日本球界で化けるには
2008年夏、ボストン・レッドソックスの本拠地フェンウェイ・パークで僕の隣席にいたアメリカ人が自分はテキサス州の出だ、と話しかけてきた。「同じ地域出身のバンチという投手が日本のチームで活躍したと何年か前、地元紙に載っていた。マツザカ(松坂大輔)には及ばないが10勝ぐらいはしたんだろう?」というので「バンチ? 彼なら日本で最多勝をとったしノーヒッターになった」と説明すると、冗談のうまい日本人だと大笑いされてしまった。


マリナーズ時代は「三振ばかりでまれにホームラン」という打者だったバレンティン。来日後の3年間で別人になった=共同

■バレンティン、米では振り回すだけ

 バンチは2000年から中日で3年間プレーした。格安の年俸で契約し、来日2試合目にして無安打無得点を達成すると、14勝を挙げて最多勝を獲得した。しかし来日前のメジャーの成績は通算1勝3敗。四球が目立ち、前年にはマリナーズで5試合に登板したものの防御率11点台とまったく戦力にならなかった。

 当時の日本人大リーガーはイチロー、松井秀喜のビッグ2を筆頭に松坂大輔、松井稼頭央、井口資仁、福留孝介、岩村明憲、黒田博樹、城島健司、岡島秀樹らが主力として活躍していた。日本野球のレベルが本場でも認識されるようになり、無名のマイナーリーガーが一夜にして日本の球史に名を刻んだとは、にわかには信じられなかったのも無理はない。

 メジャーで日の目を見なかった選手が日本で大活躍した例は枚挙にいとまがない。1974年の中日ではメジャー経験がほとんどない来日1年目のマーチンが4番に座って35本塁打を打ち、巨人のセ・リーグ10連覇を阻止した。76~77年は長嶋茂雄監督率いる巨人を破り、75年を含めて日本シリーズで3連覇を達成した上田利治監督時代の阪急の二塁手マルカーノも、やはりメジャーリーグ未経験。来日した75年から6年連続して20本塁打以上を放ち、打点王も取った。ダイヤモンドグラブ賞も4回獲得し、攻守の中心になった。マルカーノの後釜ブーマーも大リーグでは本塁打ゼロの無名の一塁手だったが、阪急では打ちまくり、外国人初の三冠王に輝いた。10年間の通算打率3割1分7厘は右打者の歴代ナンバーワン(4000打数以上)としていまだに破られていない。

 ヤクルトのバレンティンを取り上げたい。カリブ海に浮かぶキュラソー島出身の彼は19歳からマイナーリーグでプレーし、23歳の時にマリナーズでデビューした。2007~09年の3年間で170試合に出て打率2割2分1厘。15本塁打を放っているが、三振はその10倍(149)も喫していて「ホームランか三振か」というより「三振ばかりでまれにホームラン」という打者だった。


バレンティン(右)の打撃スタイルの変化はカウント別の本塁打数からも見て取れる=共同

■2ストライク後、本塁打の数が増加

 日本新記録の60本塁打を放った13年、マリナーズ時代を知るイチローが「米国であのクラスの選手が日本でそれだけ活躍するということは、少し難しいというか、複雑な部分もある」とコメントしたが、それは振り回すだけの米国でのバレンティンをイメージしていたからだろう。

 バレンティンは来日後の3年間で別人になった。1年目の11年は31本塁打を放ったものの、打率は2割2分8厘。リーグトップの131三振を喫し、粗さが目立った。ところが60発の13年は打率3割3分。三振は105まで減らす一方、四球は1年目より7割近く多い103まで増やしている。粗さが薄れ、確実性が向上した。

 打撃スタイルの変化はカウント別の本塁打数から見て取れる。1本塁打に要する打数を「本塁打率」と呼ぼう。バレンティンのシーズンごとの成績を追っていくと、ともに31本塁打でタイトルを獲得した来日1、2年目と、60本塁打の3年目で最も変わったのが2ストライク後の本塁打率だ。

 11~12年は33~34打数に1本だったが、13年は13打数に1本と飛躍的に改善した。シーズンごとの本数も8→6→17と3年目は全体の3分の1近くを追い込まれてから打てるようになった。プロでは平均してほぼ半分の打席の勝負が2ストライク以降に持ち込まれる。粘り強さを身につけたことが、四球の増加や三振の減少、打率の向上にもつながったとみていいだろう。


メヒアは広角打法で50発ペースで本塁打を量産している=共同

 変身の陰には池山隆寛打撃コーチの存在があったようだ。若い頃、「ブンブン丸」のニックネームで「ホームランか三振か」と振り回していた池山コーチは来日当時のバレンティンにかつての自分自身を見たのかもしれない。「当たればいつでもスタンドインするのだから、もうちょっと長く球を見ろ」と助言した。これが合っていたのだろう。投手の攻め方が分かった3年目にはノーストライクからの本塁打率も1年目の7打数弱から4打数弱まで向上し、読みの成長もうかがわせた。

■メヒアはバース流の広角打法で進化

 来日後、打撃スタイルを変えて成功したのはバレンティンだけではない。三冠王も獲得した元阪神のバースがそうだった。彼の本塁打の方向を追うと興味深い。来日1年目の1983年、35本塁打のうち最も多かったのは右翼への22本。その後は84年(27本)が左翼への13本、85年(54本)が右翼への27本、86年(47本)が左翼への24本、87年(37本)が右翼への19本と右翼と左翼が交互にくる。引っ張って強い打球を打つことが多かった年もあれば、外角球を逆方向に打つことを意識していた年もあり、相手に研究されると、それ以上に研究してスタイルを変えていたことが分かる。チームメートと将棋を指し、夜の街へ一緒に飲みに行くこともたびたびあった。こうしたコミュニケーションを通じ、相手投手の攻略法を聞けたことが大きかったとも語っている。メジャーでは130試合で9本塁打とパッとしなかったが、日本では「史上最強の助っ人」として色あせない記憶を残している。

 今年、バース流の広角打法で進化の兆しを見せているのがシーズン50発ペースで本塁打を量産している西武のメヒアだ。来日1年目の一昨年と昨年で放った計51本塁打は8割が左翼だった。ところが今季は26日時点の16本のうち、左翼が9本、中堅4本、右翼が3本。打率も3割前後をキープしている。

 実はバレンティンにもこの兆候がある。2011~13年の本塁打はどのシーズンも約7割が左翼に集中していた。ところが今年は26日までの15本のうち、左翼が7本、中堅が5本、右翼が3本。春先から今年のバレンティンはひと味違うと評価されていた。昨シーズンの大半を故障で棒に振り、期するところがあるのかもしれない。

■「相手以上に研究すること」

 メヒアは米国での10年間は一度もメジャー昇格できなかった選手だ。今年大活躍している広島のエルドレッドもメジャーでは大した実績がなかった。1993年に阪神で首位打者を取ったオマリーは、日本での成功理由を聞かれるたび「その環境にアジャストすること。相手が研究すれば、それ以上に毎年研究することだ」と話している。昨年まで阪神でプレーしたマートン、かつてソフトバンクなどで活躍したズレータは対戦相手の特徴をよくメモしていた。

 運や巡り合わせもモノをいうのがプロ野球の世界。努力が報われるとも限らないし、成功の方程式があるわけでもない。だが、成功する選手は例外なく努力をしている。元メジャーリーガーであろうがなかろうが、その真理は普遍ということだろう。


日経新聞

ノンフィクション作家 小野俊哉













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